2021年になりましたが、世の人々は相変わらずコロナで頭が一杯なようです。
特にメディア!
彼らは視聴率や部数が稼げればなんでもします。
国民という愚民どもがパニックになればなるほど、笑いが止まらないのです。
愚民は愚民で、世間の意見に合わせないと落ち着かず、とにかく場の空気を極限までに尊重します。
恐ろしいことに、これは先の大戦に突入していた空気感と瓜二つなのであります。
つまり、戦前からなーんにも変っちゃいないのです、この国のノリは。
そして今後も変わることはないのでしょう。
べつにここで政治や歴史の話をしたいわけではありません。
が、わたしの個人信条を侵害されないためにも、また全体主義に飲まれないためにも、テキストという形はうってつけではあり、再確認の機会にもなります。
なので、溜まりに溜まってるわたしのコロナに関する小言を、やや厳しめな口調で以下記します。
………
・マスクなんか意味ないから!眼球からも肌からも感染するし、どうしても感染したくなければ、防護服来て街歩くか、無菌室に引きこもってくしかないから!
・コロナにかかった人や、他所から来た人を、色眼鏡で見る蛮人ども……やはり日本はどこいっても田舎モンばかりである。ハンセン病やHIVなどで深刻な差別があったということを、もう忘れている。というか、知ってすらいない。文字だけは読めても文脈は読めないクソ愚民だからな。だからこそ、無知は罪に値する。
・コロナは地球が終わるまで死なない。つまり、今後も人類と付き合っていくしかない。したがって、「コロナ根絶!」とか騒いでいるのはカルト。
・「自分は良いけど、相手に感染させてしまったらどうしよう……」教。さすが、連帯主義の洗脳教育を受けて来ただけある。ウィルスなんて、コントロールできるわけないじゃん。どんだけ気をつけていても不可能。「自分の身は、自分で守る」。その意識をお互い持っていれば良いだけの話やん。
・欧米諸国と日本を一緒くたにしないこと。
・「経世済民」の意味を改めて問う。
・メディアと愚民どもに踊らさないために、過去の歴史と賢者から学ぼう。
・必読書
ハンナ・アーレント『全体主義の起源』全3巻
ハンナ・アーレント『人間の条件』
夏目漱石『私の個人主義』
………
コロナ騒動で唯一感謝することといえば、自分で思っている以上に、わたしが「個人主義者」であったということを明確にしてくれたことです。
強制されるのが何よりも嫌い、非合理的な風習が嫌い、反知性的なものが嫌い、大衆パニックが嫌い、全体主義が嫌い、自由を制限されるのが嫌い……といったことをコロナ様のおかげで逆説的に自覚させられたのです。
もちろん、社会に対する同情はあります。
特に、このコロナ・ショックで職を失った人、自ら命を絶った人。
まだ正確な数字は出ていませんが、年々減っていた自殺者が11年ぶりに増加したのは間違いありません。
そこでまた思うのです。
「なんでこんなモンに右往左往されなきゃならないんだ?」
科学的に未知数なことが多いのは重々承知の上ですが、それでも数年後には、インフルエンザと同じように、「またコロナの季節がやって来ましたね」と扱われるレベルのものになるでしょう。
にも関わらず、なんでこんなにも自由を制限されては、自死にまで追い込まれなくてはならないのか……?
……作り手とコロナはどう関係あるのか?
なんてことをふと思ったのですが、超絶どうでも良い疑問ですね。
なぜって、作り手というのは、世界がどんな状況になっていようが、何かを模索し、創作に没頭しているものだからです。
なのでわたしは、コロナを題材にした見え見えの創作物には一切関心を持ちません。
「コロナのせいで、なにも手がつかなかったんだ……」なんて甘えたことを抜かす輩がいたら、「アイザック・ニュートンはペスト大流行の時に万有引力を発見したけどね」と優しく教えてあげましょう。
この状況をマイナスと捉えるか、チャンスと捉えるか。
少なくともわたしは、チャンスと捉えています。
理由はいろいろありますが、こういった状況でなければ浮かばなかったアイデアが結構湧いてきたりするからです。
もっとも、マスクはうざったいし、旅行もしたいので、さっさと落ち着いて欲しいのは、言うまでもありませんが。