BLOG 2020.11.06

コレクションは生きる原動力になる!レコードや骨董品やグッズ収集についての諸考察

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「断捨離」は未だブームのようですね。

 

その一方わたしは、コレクション(収集癖)についてよく考えており、また実践しております。

収集……それも生存に関係ないコレクト……これは、人類特有の行動です。

犬や鳥も収集癖があるらしいけども、ベクトルが違います。

 

人間というのは欲深い生き物。

何もかも「自分のモノ」にしたいと欲します。

世界史を紐解けば分かるように、人類史は「所有欲の拡大」の歴史に他ならない。

現代に生きる我々もその子孫なわけで、何かしらの所有欲を満たすために、日々活動しているのです。

 

たとえばわたしの収集のひとつに、レコードがあります。

これには理由が2つあって、ひとつは純粋にアナログでの音楽鑑賞のため。

次に、DJやサンプリング等で使うため。

つまり、目的があります。

この「目的」というのが大きい。

わたしは行動原理で動く癖があるので、原動力がないと中々動けない。

その力学がコレクトへの欲求にも影響するのです。

 

とはいいつつ、小さい頃は無意味にモノを集めていました。

カードとか、ポケモングッズとか、ミニ四駆とか、果ては小石とか……。

それらを自分の部屋の棚に展示して、家族や友達に無理やり見せるのがまた面白かった。

これは、男子特有の現象ではないんじゃないですかね。

コレクションとは、基本、男性に強い傾向とでも言いましょうか。

カードゲームを集める女子は、少なくともわたしの周りにはいませんでした。

代わりに彼女たちの部屋にあるのは、お人形とぬいぐるみとお洋服。

 

そこから得られる見解として、男子は「収集する性」、女子は「着せ替えする性」というのが、いつからかわたしの視点になりました。

ジェンダーとかフェミニズムとかの話になるとクソ面倒なのでするつもりは無いけども、「性差による傾向は強い」というのは揺るぎないものです。

オタクやマニアに男性率が高いのもそれを示していますしね。

 

コレクションの話に戻ると、別にその根源性を問いたいわけではありません。

コレクションそのものの行為論と、その成果論。

この2つが重要なのです。

「集める」という行為そのものに価値、というか愉しみを見出すこと。

その結果を、誰かに見せて「面白みを伝える」という伝播。

リチャード・ドーキンスの言う、「ミーム」に近い話です。

 

これを現人類の中で、最も旺盛にやっている人は、みうらじゅん以外に見当たりません。

みうらじゅんは偉大です。

サブカル文化人というお笑いキャラ的な見方をされがちですが(本人もその地位が居心地良いんだろうけど)、彼の視点と行動力には本当にひれ伏します。

どんな権威あるキュレーターや評論家よりも、みうらじゅんの視点と行動力の方が素晴らしい(というか、面白い)。

500年後に名前が残っているのは、柳宗悦ではなく、みうらじゅんだ、と言いたいほどです。

たとえば彼が強烈な情熱と行動(それと金)を費やした「マイ・ブーム」をざっと挙げれば、

……怪獣ブーム、仏像ブーム、ハニワブーム、ムカ絵馬ブーム、『シベリア超特急』ブーム、男キッスブーム、地獄表ブーム、冷マ(水道管修理などのマグネット)ブーム、ロリコンブーム、とんまつりブーム、牛ブーム、AMA(海女)ブーム、飛び出し坊やブーム、ゴムヘビブーム、ゆるキャラブーム、ピーポくんブーム、松本清張ブーム、杖ブーム、いやげ物ブーム、親孝行ブーム、松尾芭蕉ブーム、金魚ブーム、地獄ブーム、尿瓶ブーム、SINCEブーム……

と、このように、一見クソ下らない、だけどどこか愛おしい視点と価値観、および、それを徹底的に収集し世間に面白さを伝える強烈な行動力は、貴族お坊ちゃま文化の柳ら白樺派には不可能なのでした。

 

「集める」という行為は自己満足で済むが、その「面白さ」や「魅力」を伝えるというのは並大抵のものではありません。

幸いにして私のレコードの場合、DJで曲をかけて「こんな良い曲あるんすよ!」と伝えることはできる。

が、これが一点物のアート作品や骨董だったらどうなのだろう?

「分かる人にだけ分かってもらえば良い」という選民思想になるのか?

職人とか作家とか作り手だったらその気持ちは分かるけども、送り手がそれだったら、なんというか「愛」が足りないな、と思っちゃったりします。

ま、自己満足の世界だから、人それぞれですけどね。

 

断捨離ブームの中、あえてコレクションしていく。

それはわたしが特に、「モノ」そのものに執着心が強いからです。

別に反デジタル主義でも無いのですが、アナログ的というか、手に触れられる、物理的なものの方に愛着を抱きます。

日々デジタル世界で生きていると、よりこの欲求が膨らむのですよ。

だから、レコードや骨董や本や訳わからん雑貨を買ったりするし、いずれ広い家と金を持ったら、美術品も山程囲まれて生きていきたいと願うのです。

 

で、これはわたしが発見したことですが、モノに執着すると、なぜか「生きる執着」も芽生えてくるのです。

いかんせん、自分という存在自体が、換えの効かない「モノ」ですからね。

だから、「マジ死にたいわ…」と悩んでいる方は、何かコレクションしてみてはいかがでしょう?

べつに高いものや評価が定まっているもので無くて良いのです。

みうらじゅん的に「自分が好きだ!」と思えるものを、ゆる〜い感じで集めてみる。

すると、「この快楽を楽しむために、もっと生きて行こう!」ってな気持ちでいっぱいになるのですよ。

 

最後に、コレクション道を進む上で、みうらじゅん師の至言を胸に焼き付けましょう。

 

――「変なもんなんだけど、でも、そこが良いんじゃない!」――

 

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音楽屋/文章屋/快楽探究家。人生という長い暇つぶしの中、いかに退屈しないで楽しんで生きるかを考えてます。
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