わたしが、アートというか、芸術というか、まあその筋の世界に入ってしまって、来年(2021年)で早20年を迎えます。
目に見えない入れ墨は、首元から足首まで見事に彩ってしまいました。
なにをもってその世界に「業界入り」したか各人によって異なるでしょうが、わたしの場合、絵を本格的に描いては、書籍やネットなどを通じて美術の見識を深めていったのをスタートとします。
それがわたしの場合、2001年、齢10の話。
音楽を本格的にやるより、遥かに早かったのです。
世界堂など本格的なお店で画材を買い集め、『美術手帖』や『芸術新潮』といった筋者ご用達の業界紙を読み込み、また『スタジオ・ボイス』や『リラックス』といった文化系インドア雑誌にも毎号目を通す。
個人サイトやBBSが盛んだった当時のネットでは、アート情報を知り、同じ志を持つ兄弟分と交流。
連休となれば、美術館や博物館通い。
もちろん平日は、学校が終われば即帰宅し、絵を描いては、あれこれアーティスティックな妄想をし、死ぬほど辛かった現実からエスケープしていたのです。
言うまでもないことですが、年端も行かぬ子供がそんな世界で生きていると、現実との乖離が生じます。
そこで思い始めるのが、「なんで自分が思い描いている世界(理想)と、現実世界はこんなに違うのだろう……?」ということ。
ちょっと前まで友達と外で走り回っては、秘密基地を作るのに精を出していたのに、気づけば机にかじりついてお絵かきや読書に没頭する毎日を送っていたら、そりゃそうなります。
当然のことながら、(色んな意味で)毎日が修羅場だったのは言うまでもありません。
だからこそ、わたしにとって芸術に没頭するとは、「その筋の世界に入る」ことを意味するわけです。
そもそも、なぜそうなったのか?
単純に、年齢や環境の変化が影響したのは間違いありません。
書くとダラダラと長くなってしまうので、あえて端折りますが、いつのまにか少女が大人になるように、少年もその筋に入る時期がやって来るのです……
わたしの場合、単純にそれが普通より早かっただけの話。
それから20年。
まあ、いろんなことがありました。
よく生きて来られたな、と思うことも多々あります。
美大に進学しようと美術予備校に通ったりしてましたが、授業がクソつまらなかったのと、わたし自身がクソバカだったので筆を折ってしまい、その後、さらなる路頭に迷ったりもしました。
その間、絵よりも、文学や音楽の方に比重が置かれていった時期が長くなります。
そうやって色々あれど、今にして強く思うことがあります。
それは、「その筋に入ったがゆえ、今のわたしがある」ということ。
これは紛れもない事実なのです。
この世界に入ってなかったら、知らなかったことや、出会えなかった人々は数え切れません。
今この場でこうやって文章を書いていることもありませんでした。
その意味で、ある種、芸術に「救われた」という感謝の念を持てるぐらいには成長したのです。
思い悩むことも多々ありましたが、今は割と安定しています。
絵筆を追ってからしばらく経ちましたが、最近は素描や落書きなどでリハビリしており、精力的に日々勉強中です。
並行して音楽も続けております。
コレクションも今まで以上に熱心になって来たし、最近は料理に凝ったりもしています。
身体を動かすことも好きなので、機会があればゴルフやテニスなどバンバンやっていく予定です。
筋者=芸人である以上、芸事は出来る限り、なんでも出来なくてはなりません。
「多芸は無芸」という言葉がありますが、そんなのは過去の話。
この流動的/多動的な現代、その典型的人間のようなわたしにとっては、むしろ「一芸は無芸」とさえ言いたくなります。
「過度な専門化は、創造性を破壊する」とアメリカの発明家、バックミンスター・フラーは言いました。
思えば、ダ・ヴィンチやミケランジェロを始めとするルネッサンスの作家たちは、「なんでも屋」だったわけですしね。
芸術の専業化が進んだのは、19世紀以降の話に過ぎません。
頬に傷を持ちながらも、芸事になんでも勤しむこと。
それがたとえ自己満足で、死ぬまでの暇つぶしであっても、それはわたしにとって生きる柱であり、誰にも譲れない尊いものであったりするのです。
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