BLOG 2020.11.03

マスターデータのあり方

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私は今は絵を絵の具で描く予定はなく、絵画の形にする事にもあまり興味を持っていない。絵の具で描いた絵を、やっぱり絵具で描かれているといいよと肯定してくれたり、村上隆やMr.を例に、彼らは絵画として描いているからこそ美術品として扱われるというような話を聞いたりしても、全然興味が湧かないのである。

興味を惹かれるのは、マスターデータがある事に対して複製が行われたり変換されたりする出来事の方だ。マスターデータは一点ものの絵画のように何よりも純粋でオリジナルとしての優位性を備えており、それを印刷した変換された物体はデータとしての破損のプロセスを経ている。しかし同時に物体特有の質感や価値が与えられる事でマスターデータとは異なる存在に変換されているのだ。

ここで一点もののマスターとしての絵画と異なる点は、絵画のイメージを変換しても常にオリジナルとしてのマスターの存在が背景に控えているのに対して、マスターデータはそれ自体が複製可能であり変換される為のデータのように振る舞う事で、変換後にはマスターデータとは独立した別の物へと変わる点だ。

絵画(マスター)
↑ 写真
↑ 印刷物
↑ 商品

マスターデータ
↓ 複製
↓ 印刷物
↓ 商品

このように唯一のオリジナルのマスターと子の関係は子から親としてのマスターへ依存していく関係になるのに対して、マスターデータと子の関係は子がそれ自体でオリジナルとなるのだ。

絵を例にするならば印刷する以外にも、大きなディスプレイに映し出すだけでも物体の価値が付与される。大きく印刷することも、小さく印刷することも、ポストカードとすることも別の物体として変換されて新たな意味を持って現れてくる。その時に意識されるのは、このオリジナルはあれだという意識ではなく、あのデータを元にしたこのオリジナルだという意識なのだ。

私はこのようなマスターデータのあり方と、変換後の意識のあり方を面白いと思っている。

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美術をやってます。絵を描いてます。音楽を作ってます。webを作ってます。
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