村上龍の自伝的小説『69』に出てくる音楽喫茶のマスターが、こんなセリフを発する。
「なんで俺は黒人に生まれて来なかったんだ…!」
ジャズやファンクやロックなどを大音量で聴いて感極まると、泣きながらそう嘆くのだ。
後日談によれば、このマスターは自殺した。村上のエッセイで何度か書かれているので、多分本当の話なのだろう。
現代のポピュラー音楽を深く聴き込んで、それに惚れてしまうと、このマスターの気持ちが分からなくもない。
あの野蛮といって良いほどのパッション、すなわちソウルと、爆発するリズム…そして強烈なグルーヴ…これは、黒人音楽(ブラック・ミュージック)にしか現れない。
勘違いしないで欲しいが、べつに人種の優劣を問いたいわけではない。
白人だろうがアジア人だろうが、それぞれの音楽的特性があるし、それに絶対はない。だがここで強調したいのは、黒人音楽ゆえの特異性だ。
19世紀末のブルースからはじまり、ジャズ、ロック、ソウル、ファンク、R&B、そしてヒッポホップとテクノ…現代ポピュラー音楽のすべては、黒人音楽にルーツがある。そして、今も昔も新大陸アメリカが大舞台だ。
音楽に政治性を絡めるのは個人的に嫌いなのだが、ブラック・ミュージックのそれを見る場合、その歴史的経緯とは切っても切り離せない。
1862年、南北戦争の最中リンカーンは奴隷解放を宣言。しかしそれはあくまで「奴隷を禁止」としただけであって、差別は多くの州で合法だった。
そこからは目を覆いたくなる差別、差別、差別。黒人へのリンチ殺人でも、犯人が白人だったら無罪、なんてのは日常茶飯事。
人種差別が法律的に禁止されたのは、1964年公民権法である。リンカーンの解放宣言から、なんと102年後の話だ。
もちろん、法律が変わったからといって人種差別など簡単に無くなるわけなく、1992年にはロス暴動という大きな事件も起きているし、貧富の格差も相変わらず激しい。この記事を書いている2020年現在、プリンスの出身地であるミネアポリスから始まった大規模な暴動が、全世界に波及している。
アフリカから連れて来られた黒人たちは、こういった苦難の歴史をどう捉えたか、筆舌に尽くしがたい。
だが、彼らが代々受け継ぎ刷新していって残した大きなモノ…ブラック・ミュージックをルーツとするポピュラー音楽は、第二次大戦後、全世界的なものとなったのだ。
ここから少し、個人的な話になる。
わたしが音楽を集中的に聴き出したのは、たしか8歳ぐらいのことで、その時はアニソンや90年代のJ-Pop、それとバッハとモーツァルトがメインだった。
そこから、「Rock・ベスト100」といった本やネットを参考に、名盤とされるもの、ビートルズやボブ・ディランやローリング・ストーンズやビーチ・ボーイズやレッド・ツェッペリンやピンク・フロイドといったクラシック・ロックを漁っていった。
はじめてブラック・ミュージックといえるものに遭遇したのは、たぶん、ジミ・ヘンドリックスからだろう。…いや、その前にマイケル・ジャクソンやプリンスも知っていた。だが、彼らはTVやラジオなどで普通に流れているので、ブラック・ミュージックとしてまったく意識していなかった。
で、10代も半ばになるとひと通りロックの聖典は終えたので、背伸びして「ジャズでも聴いてみるか」となり、例によってマイルス・デイビスの『カインド・オブ・ブルー』に手を出した。そして当然ながら、大やけどをするのだ。
まるで意味不明だった。いちおう、「ジャズだな…」とは思えるのだが、何が良いのかまるで分からない。もっといえば、「退屈」だった。
そこからジャズとは微妙な距離を取りつつ、ヒップホップやソウルやファンクと、現代の黒人音楽に接近していった。
「良いなあ」と思えるものもあったが、大半は「なんだこれ?」という感覚しか抱けなかった。
やがてわたしは気づいた。
「ブラック・ミュージックって、超ストイックな音楽ではないか?」
その通りである、と今のわたしなら胸を張って言える。
ブラック・ミュージックというとオシャレでノリの良い、パリピ向けなイメージが先行しているが、そんなのは表面だけだ。
「ゴッドファーザー・オブ・ソウル」ことジェームス・ブラウンの曲をなんでも良いから1曲聴いて欲しい。
単純なギター・リフとベースラインの繰り返し。上モノにトランペットやサックスなどのホーン、そしてドラムにパーカッション…もちろん繰り返し。それらと一体しているようで全てをかき消すようなシャウトを連発するJB…それの繰り返し、繰り返し、繰り返し…
こんな音楽、J-Popに代表されるよう着色料まみれの音楽ばかり聴いていたような者からしたら、面白いわけがない。意味不明である。
次にヒップホップもなんでも良いから1曲。(リル・ウェインの『A Milli』(2008年)が分かりやすいかも)
リリック(歌詞)が直で理解できたら、また印象が変わったかも知れない。だが当時は想像を絶した。マイルスや、JBどころではない。「ヒップホップなんて自分の聴くジャンルじゃない」とすら思った。「洋服屋の店員や田舎モノが、歌詞の意味も分からないくせにカッコつけで聞いとけ」とよく嘲笑ったものである(イヤな奴)。
それぐらい、自分とは違う世界のものだったのだ、ブラック・ミュージックとは。
それでもジャズもソウルもヒップホップも、自分の中に取り入れたい、という思いは変わらなかった。だから、わたしはこれらの音楽を集中的に根気よく聴くようになった。そして先に書いたよう、やがて悟った。
黒人音楽とはストイックなものである――
JBの欄でも書いたが、ジャズもソウルもファンクもロックもハウスもテクノもヒップホップも、基本的に反復性を特徴とする。
同じフレーズが、何度も何度も何度も、リフレインされるのだ。
加えて、コード進行も乏しく(ポップなソウルや、スィング、ビ・バップなどのジャズはのぞく)、分かりやすいメロディはほぼ無い。
単調なリフレイン、そこから微分的に現れる爆発しそうなグルーヴ…黒人音楽は、それで出来ている。
それを聴き手は、慣れるまでガマンして聴き込まなくてはならない。修行、あるいは一種のSMプレイである。
だがいつの日か、恍惚感というかスピリチュアルな感覚が到来するのだ。
「ああ、こんな素晴らしい世界があるなんて…」というか。
幸いなことにわたしは、冒頭に書いた村上龍の小説のマスターみたく「なんで黒人に生まれなかったんだ…!」と泣いたりはしない。
別に生まれがどうたらとか気にしてもしょうがないし、なにより、本当の意味で感動を味わえる感覚は、とりあえず持っているのだ。
あとはその感覚をどう研ぎ澄ますか。それが問題である。
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