最近作品のマッチョさについて考えている。
友人の作家から「ペーパークラフトの作品はマッチョ」と言われ、本人のニュアンスとは私の受け取り方が違うところもありつつも、確かにと思った。
ピースシリーズを作品らしく作ろうとしたくない事も、同時に作品として発表する必要を感じていることも、ペーパークラフトのマッチョ性に対してのバランスを取ろうとしているのだろう。漠然としていた自覚が言葉によって明確になった。
ペーパークラフトは一見素材として軽くて弱い紙の立体だが、形式的だったりある意味で現代美術らしい制作の動機にマッチョ性がある。強いものに寄せたり、長いものに巻かれたり、かっこいいことを言おうとしたりするような動機にマッチョ性があると、作られる作品もマッチョさを反映している。
自作を含めて少し作品を見渡してみると、このように動機についてアウトプットに重きを置いた作品がマッチョな感じを覚えるのかもしれない。逆に主観や感情、社会との関わりなどのインプットに重きを置くものがマッチョさが比較的少ない印象だ。
インプット、アウトプットのようにマッチョ性は様々な濃度で作品に含まれていて、もし自作のマッチョ性が濃いのなら、そうではない側面に目を向けたいし、展覧会を見るときには、男女比と同じ様に、マッチョ比も見てみたいと思った。
それから、マッチョという言葉自体が間違えていると思うので、いい言葉に置き換えたい。