2021.08.10

モノにどうグッと来るか?―スナップ写真による日写のすゝめ

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この頃、私は常にカメラを片手に外へ出ています。

39度のとろけそうな日でも、パシャパシャとにかくスナップ。

目的やコンセプトなんてものはありません。気になった「モノ」があったら、ただシャッターを切るだけ。

1日2、300枚は撮っているので、メモリーカードの容量はすぐいっぱいになってしまいます。

 

15歳にスナップ・デビューをして以来、長く経ちましたが、ここまで量を撮るようになったのは初めてです。それも毎日。

もはや日記のようなものなので、「日写」と呼んでます。

「ちょっと日写してくるわ」みたいに家を出て。

スナップ撮影に使ってるカメラ

なぜ、スナップなんかしているのか?

自分でもよく分かりません。

それも今やスマホで撮れるのに、わざわざカメラを使って。

ちなみに、私が愛用しているのは、RICOHのGRです。

スナッパーにとっては標準機といった感じで、ホントによく出来ています。

最新機種ではなく、私は型落ちのGR Ⅱを使ってます。

もちろん、壊れるまで使う予定。

そもそも、カメラなんて撮れれば何でも良いのです。

じゃあなんでスマホじゃないかと言うと、スマホでパシャパシャ撮るのって、意外と難しいんですよ。

電池も消耗するし、持ちにくいし、落としたらディスプレイ割れちゃうし。

がっちりスナップしたいなら、GRのようなポケットサイズのコンデジが未だ必須です。

世界はモノで出来ている

外に出て適当に撮っていくと、「この世ってのは、モノで出来上がってるんだな」というのを実感します。

そもそも「モノ」が存在しないと、写真なんて撮れません。

太陽、雲、建物、機械、そして人。

すべてがモノです。

それらを目撃した時、撮るかどうかという一瞬の動機が、「グッと来た!」という心の反応。

で、気づいたらシャッターを切っていて、また次の視点に移っています。

それは思考より早く、カメラと身体が一体化しているような感覚なのです。

 

「モノ」なんて言うと、かつてあった「もの派」や、今でいう「オブジェクト」なんてスカした言葉を連想しますが、そんなのどうでも良いです。

もう純粋に物理的な「モノ」。

それをどう見て、どう感じて、どう自分の中でフィードバックを起こすのか。

私がスナップをする理由のひとつは、そんな実験要素が強いからかもしれません。

「虚構と現実」―とりあえず外に出てレンズを向けると

「虚構と現実」

20年来、私の中にあるこの二項対立。

多分一生、その答えのない鎖に縛られて、私は生きていくのでしょう。

ま、そんなことは良いとして、スナップ撮影をしていると、「これは現実なのか、夢なのか……?」という感覚になることがあります。

炎天下の住宅街、人混みの駅前、夕暮れの川沿い……

そこで撮ってると、トリップ感満載で非常に面白いのです。

が、ちょっと別の世界にイッてしまいそうで、怖くもなります。

先に「コンセプトなんてない」と書きましたが、自分でも気づかない裏テーマとして、そんな「虚構を撮っているのか?現実を撮っているのか?」という問いは、存在するのかもしれません。

人目なんて気にしてられない!というか、そんなの無い!

街中でスナップをする際、気になるのが「人目」。

ですが、場数を踏めば、そんなのどうでも良くなります。

最低限のマナーを守れば、誰も何も言いませんし、気にすらしていません。

幸いにして、「おいゴルァ!」と怒鳴られた経験はありません。

今後は分かりませんけどね。

ま、その時は素直に謝って、その場を過ぎ去れば良いのです。

 

それでも人目が気になる方は、「人はモノ」と思い込むことです。それも徹底的に。

たまたま「言葉」を使ってくるから面倒くさいだけで、人間なんざ犬猫や電柱なんかと変わらない存在。

「客はジャガイモと思え!」と同じです。

深夜にやる、加工現像の愉しみ

撮りためた写真は、定期的にパソコンに入れて整理し加工した方が良いです。

私はPhotoshopで加工をしていますが、なんでもかまいません。

深夜、ウィスキーを舐めながらやる写真加工は、密教的で面白いですよ。

撮ったやつで9割ぐらいは気に入らないのですが、基本は削除しない。

10年後に見返した時に「いいね!」と思えるかもしれませんからね。

で、「おっ!」と思えるのが見つかった時のワクワクがドーパミンを大分泌させて、気づいたら朝になることも。

加工といってもべつに凝ったことはしません。

トリミングやモノクロ加工をする程度。

そして、グッと来たのを現像したら、次の写真へ……そんな繰り返し。

最強のカメラは「目」

日々使っているコンデジには愛着がありますが、本当はカメラなんて持ちたくありません。

自分の目だけで撮影できて、それを現像できるようにしたいぐらい。

一眼レフなど、カメラも凝ったら面白いのでしょうが、個人的には「撮れりゃ何でも良い」ので、さして興味がありません。

上手い撮り方とかも分からないし、べつに分からなくても良いし。

 

ただ、フィルム(銀塩)で撮ってみたい気持ちはあります。

正確には、「フィルムそのもの」が欲しい。映ったものはどうでも良くて。

やはりこれも、「モノ」性を、肌で感じたいからかもしれません。

 

最後に宣伝。

Instagramで写真あげてるので、気になった方はぜひぜひ!

こちら→sakimaki.jpg

 

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音楽屋/文章屋/快楽探究家。美術系も復活。総合コンテンツ制作会社代表。人生という長い暇つぶしの中、いかに退屈しないで楽しんで生きるかを考えてます。
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