BLOG 2021.07.18

ABCD包囲網を張って、このカスみたいな世界に祝福を!

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自慢をするのですが、もし私が検事になっていたら、間違いなく出世していました。

 

なぜなら、私は他人のイヤなところを瞬殺で発見してそれを指摘するのが、メチャクチャ得意だからです!

いや、「得意」なんてレベルの話ではない。

もはや「天から与えられた才能」、すなわち「天才」と称しても過言ではありません。

 

批判対象は「他人」どころか、家、街、地域、国家、宇宙、神にまで広がります。

対象外とするのは、イヌやネコといった無垢な動物たちだけ。

 

そして、最終的には「最大の他者」たる「自分自身」へ矛先が向かいます。

 

「なんで今こんなことを言ってしまったんだ!オレ!」

「なんであの時あんなことをしてしまったんだ!オレ!」

「つか…なんで生きているんや?…オレ…」

 

と、ループしていくわけですね。

 

簡単に言っちゃえば、自己嫌悪のそれに映りますが、ややニュアンスが違います。

 

この時、私の狭い脳内取調室では、被疑者(オレA)と検事(オレB)の激しい取り調べが行われています。

それは時に怒号が鳴り響くほど(夜中、東京西部の街にて、大声で独り言を叫ぶ)。

大概、検事が調書をテキトーに作成した時点で終了(オレの個体が入眠する)。

が、たまーに起訴され裁判となる事例もみられます(脳内裁判・海馬あたりに最高裁があるっぽい)。

 

こんなことが、私の中で日々起こっているのです。

歴史も古く、「脳内最高裁判所第3小法廷(裁判長→オレ)において1999年の6月30日付で上告棄却」が第一回の判例として記録されていますね。

総愚痴時代・総ツッコミ時代なわけで

皆さんもご存知のとおり、ネットという大海は罵詈雑言という名の汚水によって濁りきっています。

掲示板やTwitterといったSNSでは、つねに悪口や便所の落書き的批判もどきでヘドロ状態。

そして、こんなことを書き散らしている私の言葉もまた、愚痴をこぼしているわけで、それが生活排水としてネット海に流れていくわけです……あゝ無常!レ・ミゼラブルの循環であります。

 

そんな状況を私は、「総愚痴時代」あるいは「総ツッコミ時代」と呼んでいます。

 

代表例を挙げると、政治・経済・国際問題。

「SKKフォーティーなんちゃら」と覚えたら忘れませんね。

自分にムカつくコンテンツがあれば、思想信条関係なく、デッドボールを投げ合うのが、この種族の生態。

これでは、飲み屋のオヤジの愚痴以下。知能指数はミジンコ並みに低くなり、品性はゴッキー以下になってしまうのも時間の問題です。

批判ばかりしていても死にたくなるだけ、とようやく気づいたこの頃

愚痴批判指摘悪口に長けたクズの天才たる私みたいな人間からしたら、当然、このような話題を避けなければなりません。

テレビや新聞といったマスメディア情報だったら適当にチラ見し、ネットにおいては基本的にガン無視。

世間ではそれを「スルースキル」と呼ぶそうですが、私からしたらそんな甘ったるい能力、針先ほども足りません。

 

なので、以下4つのファクターが必要です。

 

「アンチにならない」

「バカになる」

「チャリティー精神を持つ」

「ドンドン好定する」

 

これら頭文字を取ったポジティブABCD包囲網

それを自分に張り巡らせるのです。

かつて日本を戦争に導いた遠因たるABCD包囲網が有名ですが、私のそれは真逆。

このカスみたいな世界に祝福を発する空砲となるのですよ、それは!

 

各自、ゆるく説明しますと以下のとおりです。

楽しく生きるためのABCD包囲網術

アンチ( Anti )にならない

これは言わずもがな、ですね。

キライなものが気になりすぎて、むしろそっちのことで頭いっぱいなったりとか。

イヤなもので頭をいっぱいにさせるとか、もはやセルフ拷問です。

 

バカ(Baka)になる

世の皆さんは、なぜか頭を良くしたがるというか、教養的なものにコンプレックスを持ちすぎだと思います。

それはそれで向上心があるとも言えるのですが、スノッブさ(カッコつけ)が目立つきらいもあります。

で、変に頭でっかちになってしまい思考停止になる傾向も、多々見られます。

かつての学生運動家や、オウム真理教の学歴エリートもそうでしたね。

頭は良さげだけどクソつまらない人より、バカだけど面白い人とお付き合いしていきたいじゃないですか。

だから、バカ田大学に入って、みんなで校歌を歌いましょうよ。

 

チャリティー ( Charity )精神を持つ

「チャリティー」とは複合的な意味がありますが、根底にあるのは「愛」です。

思いやり、優しさ、寛大さ、博愛…なんてのが大まかな意味で、べつに慈善活動に精を出すだけが、チャリティーではないのです。

このABCD包囲網で言うチャリティーとは、「とりあえず、優しくしとくか」みたいなもん。

それは偽善であっても全然かまわない。

席を一目散にゆずるために、あえて優先席に座っても良いでしょう。

まずは行動と習慣を身につけることです。

 

ドンドン ( Don Don ) 好定する

この「ドンドン」は語感的に最高だドン!

無理矢理感があるけど、全然大丈夫だドン!

唱えていると、やる気でいっぱいになるドン!

「肯定」ではなく、「好定」なのがミソドン!

好きなもので脳内をいっぱいにしていると、脳内麻薬が出てトリップができるドン!

だから、いろんなものに興味を持って、いいところをドンドン見つけていくドン!

BGMはFIELD OF VIEWのオリジナルとZARDのセルフカバー版の『DAN DAN 心魅かれていく』だけど、「DAN DAN」の部分を「DON DON」にするドン!

とにかく、「ここが良いよね!」を口癖にするドン!

「ほめ殺し」という言葉があるけど、大丈夫だドン!

むしろほめ殺したいし、ほめ殺されて天寿を全うしたいドン!

この語尾の「ドン!」がウザく読まれて、Don’t careなんだドン!

受けるよりは、与えるほうが幸いである…オヤジギャグを見習おう!

最近はあまり聞かなくなりましたが、「オヤジギャグ」、いわゆる寒いダジャレとかネタ、あれもう一度見直した方が良いですよ。

だって、笑いをみんなに提供しているんですよ、それがウケるウケないは別としてでも。

私はそこに、オジさんの「わずかに残っているささやかなオスとしての本能」と、「受けるよりは、与えるほうが幸いである」というキリスト教精神を垣間見ます。

 

だけども、なんでオヤジギャグを耳にすると、我々は「寒っ!」と感じてしまうのか?

 

ダウンタウン以降、お笑い感覚が極度に高くなりすぎた、というのがまずひとつ。

次に、ネット普及以降、笑いのハイパー・インフレが起こってしまった。

 

というか、現代の私たちは、そもそもカッコつけ過ぎなのです。

「寒いことで笑ってしまう俺ダセー」と、自意識過剰になっている。

だからか、オヤジギャグを言うおじさんも絶滅危惧種化してしまったのです。

 

なんか話がさらに長くなるので、これはまた改めて考察すべき問題ですね。

 

ともかく、皆さんそれぞれのABCD包囲網を張って、快楽的な人生を享受して頂きたいところです!