しばらくXのアプリを消してブラウザ経由で見ていたけど、最近好きなアカウントの投稿通知を受け取るためにインストールし直した。私は「水は低きに流れ、人の心もまた低きに流れる」という孟子のお言葉(を元とした格言)の通り、また漫然とTLを見てしまう。
私は男性特権やそこから生まれる無自覚の暴力性に関心があり、フィルターバブルによってそういったトピックが多く流れてくることになるのだが、パーソナライズされた「おすすめ」においては意外と男性がその特権を行使もしくはフェミニズム的な問題提起をあらゆる手法で批判しているポストが流れてくるのだ。
「フェミは男性がいなくなることを望んでいる!」
フェミニストをフェミと抽象化して、あたかも男性を敵視しているかのように表現する。
フェミニストは女性だけでなく男性の性差もなくすことを目的としているが、それを理解しないままミサンドリストに対して反射的に「フェミ」として対抗するミソジニスト的な反応。フェミニストはミソジニーもとミサンドリーもなくなることを望んでいる。
「結局フェミは赤いきつねの問題には言及するのに、子宮恋愛については何も言っていないじゃん。」
挙げられた論点を受け入れず、別の問題を持ち出して論点をずらす手法。赤いきつねや子宮恋愛に関する意見が出る背景を知ろうともせず、ダブルスタンダードを指摘することで論点をすり替えている。
「セクハラされたと言ってるけど、その証拠はあるの?そもそも誘惑するような露出の高い服を着てたんじゃないの?」
問題を提起した側の人間性や信頼性を損なう情報を事前に提示することで、議論を有利に進めようとする。また、主張そのものの正当性を疑わしいもののように見せる。証拠の有無や「露出の多い服を着る」という自己責任論にすり替えている。
「結局、この問題を指摘しているフェミって1%しかいないじゃん。」
大多数の人が思っていることが正しいと誤認し、その前提を議論の軸に据える。多くの人が支持する意見が必ずしも正しいとは限らないことは、人権の変遷の歴史からも明らかである。
「ガラスの天井とか言ってるけど、男性も労働環境が悪いし、低収入の人もたくさんいるのに、それは問題にしないの?男性差別では?」
AかBのどちらかしかないと決めつけた上で相手の立場を極端なもののように見せる。女性の労働問題と男性の労働問題、どちらも含む大きな労働問題など、さまざまな問題があり、その中の一つのトピックについての議論であるが、他の問題を無視していると決めつけて問題を指摘した側の立場を極端に見せている。このように、Aの事を言ってるけどそれならBもするべきだよねというダブルスタンダードと掛け合わせることもある。
「なんでもハラスメントにしたせいで、『これくらいでもハラスメントなんだ。じゃあハラスメントってそんなに大きな問題じゃないよね』ってなるから、結局自分で自分の首を絞めてるよね。」
議論の内容ではなく、言い方や感情を問題視する事で、元々の議論の本質を無視する。ハラスメントの問題を指摘した側の戦略的なミスであるかのようにすり替えている。「首を絞める」という表現を選ぶことでポイズニング・ザ・ウェルの手法も含んでいる。
これは友人が発した言葉である。その時トーン・ポリシングという手法を知らなかったのでまともに取り合おうとしてしまった。自分の無知さの反省としても、論点すり替え手法の一部をまとめてみた。
私は外国人を「ガイジン」と呼ぶ事に昔から抵抗がある。それと同じくらいに、「フェミ」や「女さん」も使うべき言葉ではない。その言葉を選択した瞬間に話し手の態度が表現され、皮肉や煽りをしたいという意志が現れる。これは本人が「意図とは異なる」と否定しようと、そのような表現として伝わる言葉選びなのだ。それは現在の文化として根付いているものであり、詭弁で論点をすり替える手法もまた、文化として伝達されて再生産されている、頭ごなしに批判して優越感を得るための手法なのだろう。詭弁ではないという言い分は通らないのである。「フェミ」も詭弁も数ある言葉や議論の手法の中から選びとった意図がそこにはある。
論破コンテンツとしての詭弁の数々は、物事を単純化(男対女など)して伝達するので、ぼんやり見ていると「そうかもしれない。その通りだ!」と同調させる刺激的なものだ。世界には大小様々な問題が山積しており、あらゆる場面ごとにグラデーションの様に広がっている。リベラルであることはそのグラデーションをグラデーションのまま捉えることでもあり、きっとそれは時間や体力などのリソースを多く必要とする行動である。
マジョリティはグラデーションの軽い側にいることで、問題に直面する機会が少なく、日々の生活の中でその問題を意識する(リソースを割く)時間も少なくて済む。そうした生活の中でぼんやりとSNSのタイムラインを眺めていると、思考しなくても理解しやすい二分化された意見が自然と流れ込んでくる。私自身も男性としてのマジョリティの中でぼんやりと生活していると、マイノリティが実感している問題に気が付かない事が多く、そうなるとよりマジョリティが発する詭弁に流されそうになる感覚を覚える。
「水は低きに流れ、人の心もまた低きに流れる」
気楽に他人の意見を批判し、優越感を得るコンテンツに飲み込まれないために、「これはどの詭弁にあたるかな?」と考える詭弁クイズとして楽しむのも一つの方法かもしれない。
絵本形式で書かれているちゃんとした誤謬辞典がこちらから読めるのでおすすめ。
https://bookofbadarguments.com/jp/
間違えていたら教えて下さいな。