私は、うるさいのが嫌いです。
渋谷に代表されるような東京のビッグタウンには、やかましくて近寄りたくもない。
ジョン・ケージはそんな東京のノイズが「心地よい」と言っていたと記憶しますが、私には心臓を圧迫するような騒音意外に他なりません。
一方で、静寂が好きか?と聞かれれば、首を傾げてしまいます。
というのも、あまりに静か過ぎるのも、やはり圧迫感を覚えるというか、落ち着かないのです。無響室に入った経験がありますが、聞こえるのは自分の脈動と心臓の音のみ。不安感が襲ってきます。
では、どんな所が一番落ち着くのか?
まず挙げられるのは、コンサートホール。
もちろん、演奏者は舞台におらず、客もまだ少ない開演前の時です。
なぜコンサートホールかというと、ほどよい静けさと音の反響と残響がちょうど良い……というか、そのように計算されて造られていますからね。
まるで胎内にいるかのような安心感……よく出来たホールは、そんな感覚に包まれます。
ただし、コンサートホールの良し悪しは国によって違って、たとえばクラシックの本場たるヨーロッパのホールは日本よりあんまなのです、個人的には。
これは、200年前ぐらいに建てられたものだから、というのが私の結論で、逆に言えば、当時の人たちにはよく聞こえたホールだったかもしれない。
いずれにせよ、人の聴覚は時代によって変わるのです。
それもあって、音響空間の良し悪しは一概に言えないのですが、ものすごかった音響空間は、シュテファン大聖堂(オーストリア・ウィーン)やケルン大聖堂(ドイツ・ケルン)に代表されるゴシック様式の高い塔を持つ教会など。
教会と比べると、コンサートホールが出来たのなんて最近ですからね。
だから音楽を奏でる所なんて、教会か貴族の前に限られてました(民謡は除く)。
あと、やはり海や山など、自然系も良いです。
海や湖なんて、目をつむって、いつまでもいられます。
日本ではどこだろう……?
東京にある有名ホールは大体行きましたが、印象的だったのはオペラシティにあるタケミツメモリアルですかね。
武満徹が顧問役として造られたのですが、完成直前に武満が死去。で、その偉業を讃えてこの名前になってます。
縦長構造という珍しい造りだから、若干の窮屈さはあるんですけどね。
でも、天井がそれこそ大聖堂みたいに高く、音が上手く響くのです。
東京だけでなく日本を代表するのがサントリーホールなのですが、ここはカラヤンのアドバイスの元、造られました。
正直、ここはホール全体を眺める場所です。360度に席がある、つまり演奏団の裏っ側からも眺められる形をしています。日本で初の「ブドウ園型」(ヴィンヤード型)のコンサートホールでもありますね。
ただここ、吸音がキツ過ぎるのか、音がストイックすぎる嫌いがあるんですよね。だから良い席じゃないと、あまり音圧がないというか。
逆に最悪なのは、NHKホールと武道館。
……というか、この2つは別にコンサートが目的で造られたわけじゃないですからね。
特に武道館は、1966年のビートルズ日本公演で使われたからバンドの聖地になっただけで、本来は名前通り「武道」をする場所です。
だから、あの8角形の空間で音楽を聞いてみると、もはやそれは音楽ではない。単なる騒音。
ビートルズが演った時も、「観客の歓声がうるさすぎて、何にも聞こえなかった」という証言が多く残っているのも頷けます。
NHKホールもあの3階席まである、多重構造的な造りをしているからか、音がガツンと伝わりません。
N響の本拠地なんだから、もっと良い音響空間であっても良いのに……と来るたびに思ってしまいます。
たとえば1000年前は平安時代ですが、あの時代は基本的に視覚より聴覚が重視されていた、というか発達していた時代です。
プラス、空想上のイメージ。
見たこともない相手に、和歌というラブレターを作ってはロマンティックな空想に浸ったり、夜の静けさに響く虫のさえずりに雅を見出した……そんな時代。
月明かりにハッとお互いの容姿が見えてしまったら、女性なんかはそれだけで濡れてしまったそうです。
いずれにせよ、目より耳。そんな時代。
だから現代の我々より耳が肥えていたのは、間違いありません。
江戸時代にもこの傾向は続きます。
古池や蛙飛びこむ水の音
松尾芭蕉
とは芭蕉の有名な句ですが、脳内でそのイメージを浮かべるだけで、音が鳴ります。
芭蕉には、
閑さや岩にしみ入る蝉の声
松尾芭蕉
という名句もありますね。
閑か(静か)な岩と、命の限り絶叫する蝉の声が、見事に対比されています。
現代の我々は、音に対してあまりに不感症になってしまいました。
これはさっきのコンサートホールだけでなく、DJクラブやライブハウスの音響設備でも遭遇することです。
「こんな頭悪い音出すクラブ来るぐらいなら、家でチューニングしたスピーカーで流すか、ヘッドホンで音楽聞いた方が良い!」
と思うことは多々あります。
音楽だけではありません。
川のせせらぎや、木々が奏でる風の音に、なぜもっと感覚を向けられないのか?
「耳をすませば」
とは言いますが、私としてはそれ以上の感覚を研ぎ澄ませるべきだと思います。もっと先がありますし、聴覚、ひいては全身の感覚を鋭敏化させることが可能だと信じます。
ということで、まずはコーネリアスの『Sensuous』と、アイキャッチにも使った竹村延和の『子どもと魔法」を聴き込むことをオススメしといて、この記事を締めます。