人類最古の楽器は、約4万年前に作られたフルートっぽい笛らしい。
素材はマンモスの牙や、ハゲワシの骨など。
こういったものを作っては「音を奏でる」ことにより、頭脳的にも文化的にも長けた現生人類=ホモ・サピエンスは、ネアンデルタール人との生存競争において勝利したのである。
そこで思うのがひとつ。
なんで太古の人類は、音を鳴らすための道具なんぞ、作ったのだろう?
敵の襲撃から身を守るためとか、宗教的儀式のためとか、理由はいろいろあったと思う。けれども、個人的見解からすれば、「単純に暇だったから」としか思いつかない。だってそうでしょう、やることと言ったら狩猟と採集、食事、避妊という概念のない動物的セックス、そして睡眠……ネアンデルタール人以上の知能を持ってしまったら、これだけでは飽き飽きするに決まっているし、文化的にも進歩がない。
それで、あの頃にも存在していた発明好きのヤツがある日動物の骨をイジってみて音を自由に操れることを発見し、それを面白がったヤンキーっぽいヤツが下手クソだけど吹き鳴らして異性の注目を惹き、それを苦々しく思う夢想家のヤツはもっと味わい深いものにしようと陰ながら芸を向上させ、それに目をつけた指揮官的なヤツが「祭事(政)に使える!」と思い立ってマーケティングし、各地に広まっていったのだろう。
太古の人類に想いは馳せるけども、べつに考古学や文化人類学的なことを書きたいわけではない。そんなのはここではなく、専門の本やらサイトやらを見れば良いじゃないですか。
じゃあ何を書きたいかというと、「楽器を演奏する」という行為についてである。すると、メルロ=ポンティの「身体化された認知」とか「両義性の哲学」とか「知覚の優位性」といった意味不明なことを書きそうになる危険性を孕んでいるが、そんなものにも極力触れないよう注意したい。(ってかメルロ=ポンティって誰?というのが一般常識的反応で、それが正常)
日本はじめ先進国で普通に成長したならば、みんな何らかの形で楽器と接触する。
カスタネット、鍵盤ハーモニカ、リコーダーといったのが典型的だが、中には幼少の頃からピアノやバイオリンを習っていたという小金持ちの子息もいる。
そして中学生ぐらいになると、エレキ・ギターに目を輝かす。少年誌に載ってる通販カタログを眺めては、中学生にとっては信じられないぐらいの大金である1万円のギターセットを入手。そしてよくあるように、3ヶ月後にはホコリを被った状態になるのが世の常だ。
かくいう私も、13歳の誕生日にエレクトリック・ギターを手にした。もともと家に古いクラシック・ギターがあり、それでコードを覚えていたので3ヶ月で飽きることもなく、加えてフェンダーのストラトキャスターだったので、宝の持ち腐れになることを避けることができた。このギターは今でも手元にある。多分、棺桶まで持っていく気がする。
いっときピアノを習っていたけども、私は未だに楽譜が読めない。ギター譜(数字譜)も読めん。なので、ある曲を習得する際は、耳コピか、DAWでMIDIを打ち込んで1音1音確認しながら練習する。
こんな感じで。
古典的でもあり現代的でもあるやり方をしてるな、と思う。ま、楽譜が読めなくとも音楽が作れる時代だし、むしろそれが主流な時代だしね。エクリチュール(書かれたもの)と、パロール(口語的)の混合みたいな感じですか(あっ、いらん現代思想用語使っちゃった)。
エレキギターはいつも憧れの的、とさっき書いたけど、最近になって事情が変わっているらしい。PCとDAW、あるいはスマホとアプリの方が、さっさと音楽を作ることが出来る。そのせいか、ギターの売上が年々減少しているとのこと。実際、ギブソン社は2018年に倒産したしね(目下、再建中)。
自分もギターを弾き始めた頃からDAWを使って宅録をしてきたけど、最近はソフト音源の質も上がって、生ギターの比率が減っている。ゆえにあんまり弾かなくなっている。
それで「これはヤバい」と思い、この頃は意識的にギターを手にするようにしている。
そこでいつも思うのが、「楽器を演奏するのって面倒くさい!」ということ。
そう、面倒なのですよ、楽器演奏なんて。両手というか全身を使ってやらないといけないし、身体は疲れるし。
が、この面倒臭さと同じくらい、いやそれを上回る「快感」がある。ランニングし終わったあとのような爽快感……少なくとも、ディスプレイに向き合ってキーボードとマウスをカチカチ動かしながら作るDAWでの作業とは、まるで違う。同じ音楽を作っていても、道具の違いで脳のシナプスの反応も異なってくるんだろう、たぶん。
で、ギターを弾いてみると、「楽器演奏というのは運動なんだな」とつくづく思う。先述の通り、全身を使うからね。1時間以上立ちっぱでガンガン弾いていたら、かなりの汗もかくし。
そこで身体性と認知と道具の関係……みたいな話になってくるのだけど、すっごいメンドーな話になるし書いているとイライラしてくるので、そろそろ終わり。アインシュタインがバイオリンを生涯の友とし思索に耽ったことについては書きたいので、気が向いたら次の機会に!