作品の構成する要素を考え、作品としての強度とその良し悪しの判断の材料とする。
造形としての好みは一旦置いておいて、作者の動機を元に考えてみると
が大小の円としてベン図のように重なっているように思われる。
漠然としているが、僕自身も細分化できていない。
強いて言うなら「造形文化」としての動機だろうか?
物を叩いたらリズムが生まれた。
絵の具を乗せたら色面ができた。
有名なイラストを真似たらいい感じになった。
など造形的な判断をする動機だ。
このノリは最初の制作の動機でもあり、おそらく多くの制作者が抱いている動機だろう。
問題はノリを起点とした作品に以下の要素がどのように重なっているかによってくる。
芸術論、絵画論、神話学、人智学など、論考を作品を通して示すものだ。
例えばゲルハルト・リヒターは絵画の可能性を探り、ジェームズ・タレルは知覚心理学の観点から光を用いた作品を制作している。
現代の社会問題に反応して作品を制作するものだ。
シンディ・シャーマンは、セルフポートレートを用いて女性のイメージの扱われ方を示し、アイ・ウェイ・ウェイは四川大地震の際に倒壊した建物から集めた鉄骨をまっすぐに戻して並べ倒壊した小中学校の生徒の名前を公開するなど、政府の対応と耐震の杜撰さを示した。
これらの要素の割合は作家や作品によって変わって来るが、動機が何に起因するかを判断する材料としている。
しかし、これらの要素だけでは作品としての強度が高いと必ずしも言えるわけではない。動機をメディア化して示す際にどのような処理を挟むかという部分に作家の表現の力が影響してくる。
例えば、社会問題をそのまま報道のように示すのか、別の事象に置き換えて抽象化しメタファーとするのかによって、受け手が得られる印象は全く変わってくる。