北海道立近代美術館で開催されていた「星の瞬間」についての感想です。
本展は、北海道にゆかりのある美術館の収蔵作品と、北海道の現代作家がコラボレーションするという趣旨の展覧会でした。しかし、その前提を真正面から達成できていた作家は、私の印象では1人を除いていなかったように思います。作家が選んだ収蔵作品との必然的なつながりが見えず、仮に収蔵作品がなくても作品として成立するものが多かったように感じました(そういう意味では作品単体としては見応えのあるものもありました)。また、自作とモチーフや素材が似ているものを並べることで関連性を持たせた作品も見られましたが、それは単なる引用にとどまり、自作の説得力を補強するための要素に見えるものもありました。
学芸員の方々のテキストは興味深かったものの、小さなキャプションに淡々と文章が掲載されており、鑑賞者が自然と読めるような設計にはなっていなかったため、読むのに苦労しました。
先輩作家と自作を並べていた。学生のギャラリーでの2人展みたいな。
光を描いた作家に対して、プロジェクターの光を使った作品展開。光を光そのもので提示することと、光を絵画で表現することの間には大きな差があると感じた。
唯一個人的に良かったと思った伊藤隆介作品については後述。
ミニクーパーの造形がめちゃ良く、対して刺さっている金属の造形が弱い。風化としてはテーマが近いけど、引用的なアプローチに留まる。ちなみに金属の風化についても専門家の引用だった。
絵画の風景とライフワークとしてレコーディングした現地の音という関連性と必然性が良かったが、関連性がない映像の数字と音楽が不明。(読み取れなかった…)
それぞれの母との関係の作品は良いが、コラボレーションしていない。コレクションへの視点やアプローチがなく、引用の域を出ない。
引用の域を出ない。
作家のおへそを湖に見立てる視点に近そうな作品を引用して、一部同じ摩周湖を作品に入れたなという感じ。本来作品が展示されるガラスケースに入るという表裏の入れ替えと胎児の関係を体験できるのが良かった。
引用でもない?フラットな風景の描き方とモチーフの見た目で選んでる?「優しい場所」自体否定できないが、優しかったり戦争に(軽く)言及して作れば作品になるわけではないのでは。
普段から主題としている映像メディアの特性を、一層上のマスメディアとしての箱館焼として捉えるようなアプローチで、官主導のベンチャー的な事業による入植のプロパガンダとしての箱館焼とも捉えられます。作家の模型の造形に対する欲望が展開するモチーフの部分がそっくりそのまま箱館焼に置き換わっている点も興味深いです。
作家のやりたいことをまず展開して美術館作品を引用するような個人的なアプローチが多い中、やりたいこととコレクションを絶妙に落とし込んでいて気持ちがいいです。その結果北海道の美術を見つめ直すというテーマにもしっかり応答する形にもなっています。
読ませようとしていないテキストと腑に落ちないコラボレーションを見て体力が削られる中、オアシスのような伊藤隆介作品に救われた展示でした。読解力も鑑賞力も体力も持ち合わせていない人間がおいそれと参加していいマラソン大会ではなかったです…